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おばあちゃんのはなし*

私はずっとおばあちゃん子だった。

両親が自営業で休みがないので、土日はよくおばあちゃんと遊んでいた。

(おばあちゃんの家は隣で二世帯住宅のように通路でつながっていた)

部屋を開けるとおばあちゃんはいつもソファで寝てた。

テレビはいつもつけっぱで、毎回スーファミの麻雀ゲームの休憩画面だった。

よく一緒にゲームをした。

マリオ、ボンバーマン、ドンキーコング・・・

どれもおばあちゃんは弱かった。

いつもプレイヤー2人でするのに、後半になるとおばあちゃんの残機がなくなりゲームオーバーになった。

それでも楽しかった。

よく一緒に笠を作った。

内職だったのか本職だったのか未だによく分からないが

時にはおばあちゃんの姉も呼んで皆で笠を編んだ。

日のあたるぽかぽかしたおばあちゃんの部屋で夢中で作業をするあの時間が好きだった。

おばあちゃんは寂しくなるとよく私の方の家に来た。

私の家のリビングは2階にあって、いつも重い体をどしどし言わせて階段を上ってきた。

その時は決まっていつも水戸黄門のオープニングを歌っていた。

あまりにも毎回歌いながら来るので、私と妹は歌詞を覚えてしまっていた。

なので、おばあちゃんがどしどし足を鳴らしながら

「じ~んせ~いら~くあ~りゃ~」

と歌いながら上ってくるのを聞くと、私と妹で

「く~もあ~る~さ~」

なんて、続けて先に歌ったりしてた。

おばあちゃんはいつも優しく笑っていた。

秋には栗拾いへ行った。

おばあちゃんの兄弟が昔住んでいた家に大きな栗の木があって

毎年秋になると親戚が集まってそこへ栗拾いへ行った。

妹と私がハチが怖くて逃げ回っていると、

捕まえて羽をちぎって地面に捨てるおばあちゃんがかっこよかった。

おばあちゃんが栗を拾いだすと、たまたま頭の上に栗が落ちてきた。

「あいたっ!!」と痛そうに頭をさするおばあちゃんを見て

「おばあちゃんのどじ~!!」と妹と笑ったりした。

「も~おばあちゃん本当に痛かったんだからね」っておばあちゃんも笑ってた。

面白いおばあちゃんが大好きだった。

よく買い物にも連れて行ってもらった。

おばあちゃんは何でも買ってくれた。

可愛いスカートがあって欲しいといって買ってもらったのだけど、

そのあとに色違いを見つけこっちも欲しいといったらそれも買ってくれた。

たまごっちのガチャガチャがすごく欲しくて、全種類欲しいと言ったら

おばあちゃんは全種類集まるまで私に100円玉を与えてくれた。

りかちゃん人形の洋服も欲しいものを全部買ってくれた。

幼い子供と言えどある程度の金銭感覚は持っていたにも関わらず

1着1000円もするりかちゃんの服を

「おばあちゃんは何でも買ってくれるから・・・」とほいほいカゴに入れていた。

レジで会計をすると、全部で5000円以上もした。

おばあちゃんは「こんなにもするの?」と呟いた。

それがひどく脳裏に残った。

今もなお、当時の自分の愚かさに心が痛くなる。

「私はなんて無駄なものにおばあちゃんの大切なお金を使わせてしまったのだろう」

と、自分の罪にとても反省をした。

おばあちゃんは何でも買ってくれると甘え過ぎていた。

それにやっとその時気付いた。

そして、お詫びをしようと心に決めた。

残っているお年玉貯金をおばあちゃんにあげようと思った。

お年玉はいつも勉強机の上から3番目の引き出しの漫画セットの奥にしまわれていた。

開けてみると、わずか5000円しかなかった。

それでもこれはおばあちゃんにあげようと決めた。

ごめんなさいをしようと。

だけどそんな矢先、おばあちゃんは入院した。

糖尿病だった。

いっつも寝て食べての繰り返しだったからだ。

でもお母さんはすぐ退院すると言った。

だから、退院したらこの5000円を渡そうと思った。

だけどいつまでたってもおばあちゃんは退院しなかった。

お母さんに聞くと、おかあさんは言った。

「おばあちゃん、脳卒中なんだわ」

真っ白になった。

当時中学生にあがった私もそれくらいの理解はあった。

脳卒中は死に至る病気だと。

でも私は信じてた。

おばあちゃんは治ると。

またいつか、笑顔で水戸黄門のオープニングを歌いながら2階へ上ってくると。

そしたらあのお金を渡すんだと、私は信じていた。

お母さんと姉妹とともに病院へ向かった。

病院のあの独特の匂いは今でもトラウマだ。

扉をあけるとおばあちゃんらしき人がいた。

でもそれは、私の知ってるおばあちゃんとはずいぶんかけ離れた人だった。

白髪を隠すために定期的にしていた黒染めも、今はもう出来なくなり

頭は真っ白だった。

甘いものが大好きでぶくぶくとどっしりしたあのまんまる体型も

やせ細って骨が浮き出ていてガリガリだった。

口には呼吸器のようなマスクがしてあった。

入れ歯もなくて言葉も喋れなかった。

おばあちゃんは、私たちを見た瞬間、涙を流した。

おかあさんがマスクを外すと、口をぱくぱくさせて、何かを伝えたいようだった。

それを見て、私は「おばあちゃん、わたしだよ」と声をかけることしかできなかった。

おばあちゃんの手はまるで外にいたかのように冷たかった。

握りしめるとわずかな力で、おばあちゃんは握り返してくれた。

涙が出そうになった。

おばあちゃんをもっと外に連れ出してあげればよかった。

おはぎばっかり食べてるおばあちゃんをもっと注意すればよかった。

こんなことになるなら、もっと早く自分の過ちに気付いてお金を返せばよかった。

もっともっと、おばあちゃん孝行すればよかった。

高校生にあがって、医師から言われた寿命を1年延ばし、おばあちゃんは亡くなった。

天国に行ってしまった。

あのお金は、結局最後まで渡すことはなかった。

それから、週に何度か学校帰りにおばあちゃんのお墓へお参りに行くのが、私の習慣になった。

雪の積もる冬も暑い夏も、出来るだけお墓に足を運んだ。

そして、学校のこと、恋愛のこと、ムカついたこと、嬉しかったこと、何でもおばあちゃんに話した。

冒頭にはいつも、「あのときはごめんね」と呟いた。

伝わっているのかは分からないけど。

今は大学に入って年に1度しか帰らなくなったが

その時も必ずお墓へは立ち寄っている。

そして、1年分の出来事を話す。

家族でお参りに行くと、いつも母親に遅い早くしろと怒られる。

だって1年ぶりだもの。話すことなんていっぱいあるんだよ。なんて思いつつ。

こうすることが、あの時出来なかった分の唯一のおばあちゃん孝行なのかもしれない。

21になった今でも、怖い幽霊の話を聞いた夜なんかは、お恥ずかしながら

「おばあちゃん!変な幽霊がきたら助けてね!」と願いつつ眠りにつく。

おはぎや栗をみてはおばあちゃんを思い出す。

いつもどこかしらにおばあちゃんがいる。

そんな気がする。

やっぱり私は今でも、おばあちゃん子だ。

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